「紙一重」という言葉があります。
意味を調べてみると・・・
『1枚の紙の厚さほどのきわめてわずかな違い』
というような説明が出ています。
使用例としては・・・・
『馬鹿と天才は紙一重』とか『好きと嫌いは紙一重』などなど。
「紙一重」とは言うものの・・・。
その「差」は、どんどん広がって行くように思います。
例えば、「野球」の好き・嫌い。
好きになった人は、毎日でもやりたくなって、野球部に入ったり・キャッチボールで遊んだり・プロ野球の試合を見に行ったり・プロを目指したり・・・。
嫌いになった人は、ほとんどやらない・野球部に入らない・キャッチボールで遊ばない・試合を見に行くことも無い・ましてやプロ選手など目指さない・・・。
この『差』を、紙一重(きわめてわずかな違い)とは考えにくい。
つまり『好きになるか?・嫌いになるか?の差』(入口の差)は、わずかな「差」ですが、『好きになった・嫌いになった』という結果が出た後の「差」は、とても大きい差になると思います。
◎料理好き・・・毎日でも楽しく料理できる
×料理嫌い・・・料理なんかしない。鍋も包丁も使わない
◎ゲーム好き・・・毎日、暇さえあればゲームしたい
×ゲーム嫌い・・・やらない。そもそもゲームを買わない・持っていない
これが「勉強」(国語や算数など)にも、当てはまります。
◎算数すき・・・算数の勉強が苦にならない。宿題もできる。
×算数嫌い・・・やりたくない。嫌い、苦手、分からない、ヤダ。
◎国語すき・・・国語の勉強が苦にならない。得意。面白い。
×国語嫌い・・・本を読まない、作文が書けない、やりたくない。面倒。
・・・・この差は、実はとても大きいです。
挽回・回復・改善・するのは時間と労力がかかります。
イヤイヤ!、やりたくない!と拒絶している人に、「やれやれ」と言うのは大変なのです。
ですから、勉強については『嫌い・苦手・やりたくない』となって(決定して)から対策をうつのではなく、そうならないように対策する方が何倍も良いと思います。
(精神的な苦痛が無いという点でも、その方が良いでしょう)
「紙一重」は、キッカケの時点だけです。
その後の結果は「壁一重?」ほどの差があります。