こんにちは(^0^)
加美町中新田にある験匠です。
『考える』ことが出来るというのは、当たり前の事のようで意外に難しいようです。
「頭が付いているんだから、そんなの誰だって出来るじゃん!」と言う人もいるようですが、そんな事はないようです。
大人(大学生なども含む)になってからは、「マニュアル人間」などと呼ばれたりもしますが、「言われたことは出来る」とか「やり方が分かれば出来る」という人たち全般について、「自分で考えない」又は「考えられない」という言われ方をしているようです。
この『考える』ということは、能力?とか、才能?とかではなく『習慣』なのではないかと感じるようになりました。
特に、小学生時代(特に4・5年生くらい)までに、この『習慣』が無いと、この後で『考える習慣』を身につけるチャンスは極めて少なくなるだろうと思います。
この『考える』ということについて、よくある誤解が・・・・
★お昼に何を食べようか「考える」・・・・
とか
★この英単語のスペルを忘れてしまったので、いま「考えている」・・・・
とか。
そういう『考える』のことではありません。
(^^;)説明するのが難しいので、小・中学生の場合の例だと・・・・
(例)
算数の計算問題が大好きな太郎君。
クラスでも1番速く計算が出来るので「天才くん」と呼ばれることも・・・
今日は文章問題に取り組んでいます。
始まって、数分経ちますがペンが進みません。
天井を見たり、周りを見たり、足をカタカタさせたり・・・・
問題を読んで悩んでいる様子もありません。
しばらくすると、『先生、これ何算使うの?』 『割り算?足し算?』??
『何算なのか分かれば、スラスラ解けるんだけど!』
『何算使えば良いのか分からないから、この問題やりたくない!』
・・・・・・・・・・。(^^;)
いろいろ聞いてみると、自宅での勉強は「漢字練習」と自主勉ノートに「計算練習」を毎日行なっているとのこと。
それから「計算が速くなる事で有名な○○○」にも行っているそうで。
見聞きする限りにおいては『考える時間』(考える習慣)は見当たりません。
やはり「才能」や「能力」という問題ではなく、そもそも『考える』という『習慣』が無いのだと思います。
たとえ塾に通っても『先生、これ何算使うの?』 『割り算?足し算?』と質問されて、「これは引き算でしょ」(そっか!引き算か!分かりました)なんて授業にでもなれば、また「考える習慣」は遠のいていくことでしょう。
かといって『自分で考えなさい』と放置しても解決するわけではありません。
『ちゃんと考えなさい!!』と怒鳴っても、解決しないでしょう・・・。
慣れてくれば(習慣が付いてくれば)、あとはスムーズに進むのですが・・・
『考えさせ始める』(習慣を付け始める)のが大変なのだと思います。
ぜひ『考える』ことが出来る(習慣のある)子どもに育ててほしいと思います。
春は「復習」する時間が多く取れるので、特におすすめです。