今のような「学校」が出来るのが明治以降。
それよりも前、日本の教育の場は寺子屋(手習い塾)と言われる『塾』であり、多くの人が学んでいたと言われている。
江戸時代後半に、広瀬淡窓(ひろせたんそう)先生のはじめた咸宜園(かんぎえん)では、先生と塾生が切磋琢磨しながら学び、ここから高野長英(たかのちょうえい)らの大物が輩出された。
また、吉田松陰(よしだしょういん)先生の松下村塾(しょうかそんじゅく)からは、高杉晋作(たかすぎしんさく)、伊藤博文(いとうひろぶみ)らが、それから、緒方洪庵(おがたこうあん)先生の適塾(てきじゅく)からは、福沢諭吉(ふくざわゆきち)、橋本左内(はしもとさない)らが輩出され、日本が近代化を成し遂げる大きな力となった人材を育てたのは、「塾」であったとも言える。
まさに、「塾」が日本の近代化にとって大きな役割を担っており、日本の教育の原点だったと言うことも出来るのだ。
さて、新しく「験匠」(けんしょう)という塾が開かれた。
日本の未来を担うような頼もしい人材が、たくさん輩出されていくことだろう。
毎日ワクワクして、今から楽しみでしょうがない。